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3「視えるヒト、視えざるモノ①」
時間は万物に対して平等に訪れる。今日という日にできなかったことへ後悔の念を抱こうが、新たな目標を見出して胸を踊らせようが、眠りから覚めた時には新しい朝にいる。朝の中で生活をしていればいずれ昼になり、そして同じように夜がまた滲み出てくる。
廊下に広がる黒い煙を脚で切り裂いて進む。雪菜と雨音が向かう先は閉じ込められたことが記憶にも新しい、校舎四階・写真同好会の部室だ。
本日は週に一度の活動日。放課後の部室にて部会と批評会をするのが写真同好会の活動内容となっている。
瘴気の影響で部室の使用時間が限られてしまう部活動が多い中、写真同好会は今日も通常営業を続けている。元々が長きに渡り週一、一時間もない活動時間を積み重ねてきたのんびり部活動である。健康被害により縮小するべき活動が無いのだ。この短期間での変化を強いて言うなら、部室で暇な時間を浪費することが自己責任になったことくらいだ。それでも当同好会にて瘴気由来の体調不良者は未だにゼロという目覚ましい結果を出している。
本日、雪菜は部活動の後、後輩の風花とクラスメイトの雨音を引き合わせる約束を取り交わす予定だった。昨日雨音から教えられたことやその先の情報を共有しようなどと画策をしていた。手近な相手から先に都合のいい日を聞き出そうと試みた昼休み。計画に対しての雨音からの返事は、雪菜には少し意外に思うものだった。
「君らの活動が気になるから、私も見学という形で部会に参加したいのだけど。大丈夫かな」
「多分大丈夫だと思う。もしかして入部希望とか……?」
「その時考えるよ」
一体どういう風の吹き回しか。転校初日、二日目と種々多様な質問を投げかけられていた。もちろん興味のある部活動についても聞かれていたし、勧誘のようなものも受けていた。それらを躱すようにあしらっていた雨音がようやく部活動にも興味を示したのだ。
興味を惹かれることがなんにせよ、人材不足の同好会には見学希望とは喜ばしい知らせだった。
当初の目的とは話がズレてしまっているので、放課後のことへと話題を戻す。
「部活は一時間もしないで終わるからさ、終わった後も時間ある? 門限いつまでとかも」
「夜までに帰れるなら問題ないよ。それで、この前みたいに部室で話す積もりかな」
「もし今日になったら、うちんちにしようかなと考えてた。多分問題ないし、部室はダラダラ居残りがいるし」
「……君の家なら、私は遠慮しておくよ」
反射的に、「えっなんで」と口から漏れていた。雨音の家──正確にいうと翼の家だが──へは有無を言わせずに上げたというのに、その違いは一体なんなのだ。まさか、他人の家に厄介になりたくないだなんて話だろうか。今日だからダメなのだろうか。考えがぽつぽつと浮かんだが、どれかを選び取るよりも先に雨音が答えていた。
「君の家が一昨日昨日と見たままならば、私はそこに入らない方がいい」
「大丈夫そうって言ってたやつ?」
「そう。私が入ると崩れてしまうかもしれないから」
雨音には遠目からでも何かを感じ取れているらしいが、雪菜には心当たりがさっぱりなかった。
ベランダを確認しても、姉のひかりが育てる小さなプランターには野菜やミントが植えてあるだけだ。自宅では部室の様に常に盛り塩はしていないし、骨董を集めていもいなければ、それらしい開運アイテムも買わされてなどいない。
強いて言うなら、ひかりが一時期ハマってそのままにしている風水や、毎年買い直している神社のお札などが、雨音の言う「大丈夫そう」に当てはまるのだろうと思えた。しかし、他人を入れたら効果がなくなるだなんて聞いたことがない。家族それぞれの友達を招き入れたことなんて過去に何度もある。
雨音の真っ直ぐとした眼差しに射抜かれると、とてもお断り用のはったりだとは思えない。雨音には理解できていることで、雪菜が知らないことはまだまだ多いようだ。
「そこまで言うなら……別のよさげなところちょっと考えとく」
★
放課後。今日の部室の引き戸は軽く力を入れただけで、カラカラと軽快な音を立ててレールの上を滑る。入室と同時に雪菜はよく通る声で「こんにちは」と発した。
中には男子生徒が三人。眼鏡をかけた生徒と背の高い生徒、そして前髪の長い生徒だ。三人ともこちらに目を向けて口々に返事をする。
眼鏡の生徒に「その子が見学希望の子?」と聞かれ、背後の雨音に前に出てくるように促した。
「はい。水無月と言います。本日は宜しくお願いします」
「よろしく水無月さん。俺は三年の木下。そっちの背の高いのが佐藤。俺らも見学だから、気楽に見ててよ」
木下の言葉を受けて、すかさず真横の雪菜が耳打ちをした。
「木下さんが前の部長で、佐藤さんが副部長やってたんだ。引退してからも結構顔出してくれてる」
木下と佐藤が引退してまだひと月も経っておらず、本人たちは現役世代を冷やかしに来ていると語っている。既に引継ぎが完了しており、活動日以外にも部室にいる様子を見る限りでは、単に暇なだけだろうと雪菜は思っていた。
続けて、黒板の近くの椅子に座った前髪の長い生徒を指し示す。
「そっちの子が今の部長の醍醐くん。二年の一組だよ」
雨音と目が合うと、醍醐は小さく会釈した。
「で、私が今の副部長の赤星」
自分を指差す雪菜に、雨音は「そうなんだ」と平坦な相槌を打った。
雨音を座らせて事前の説明をしていると、部員が部室に集まってきた。やってきた一年生部員が見慣れない一名を凝視すると、その度に木下が「見学者だよ」と説明を入れた。こちらが説明をしている途中だからか雨音の雰囲気のせいか、昨日会った風花にさえも挨拶以上に声をかけられることはなかった。
本日の参加者は全部員五名。そして見学者が三人。
二年生は部長の醍醐と雪菜の二人、一年生は今年入った風花を含む三名だ。ゴールデンウィーク前に引退してしまった木下たち三年生が現役の時には、同じ学年で七名がこの同好会に名を連ねていた。
今でこそ同好会となっているが、雪菜が入った一年生の春にはここは写真部を名乗っていた。部員の急激な減少を受け、今年の四月から見事に同好会へと格下げとなった。つい一昨年まで部員が二十名近くいただなんて話を見学に来た一年生に聞かせて驚かせるのがもはや慣例となりつつある。この現象にはきちんと原因がある、と告げると一年生は何か不祥事を起こしたのかと不安げな顔で目を輝かせてくれるのだが、事実はため息が出るほど滑稽なものだった。
部の活動ではなく一人の生徒を目当てにした部員が二年間に大量に入り、そしてその大多数がその生徒の引退と共に消え失せたからだった。
昨年では現三年生の残った七人のうち、五人の女子生徒が既に幽霊部員と化していた。もともと部となっていたのも、その男子生徒の恩恵があったとかなかったとかいう話だ。集客と同時に、女子生徒たちによる浮き足立った雰囲気を嫌った学生には避けられてしまっていた。つまり正解は「客寄せパンダがいたから」ということである。ちなみに雪菜たちの代でも仮入部でこの部を去った女子生徒が少なからずいて、昨年の本入部の生徒数から同好会への格下げが決まったらしい。
生徒数自体が減少しているこの時森第一中学において、部を冠し続けられているのは人数の要る運動部か、吹奏楽部や家庭部などの人気どころくらいだ。
定刻になり部長の醍醐が立ち上がった。まずは今週の生徒会から出された業務連絡から始まり、文化祭の出し物についての意見聴取が行われた。
「──で、去年はコマ撮りアニメ作って、パソコン借りてステージで流したんだけど。今年は別のことやりたいって人いる? もっと楽なのがいいとか、今年から出なくてもいいとか」
「コラ和成! 伝統を潰そうとするんじゃない!」
「じゃあ今年もやりたいって人」
「はーい」
野次を入れられた醍醐が挙手を求める前に、木下が大きく手を挙げていた。それに釣られてるように、賛同者が次々と手を挙げる。しまいには黒板の前に立っている部長と雨音を除いた六人全員が手を挙げていた。一年生の女子の間から楽しそうだね、と私語が漏れ聞こえている。
「そこの二人、勘定に入れませんからね」
「入れなくても負けてるだろ」
「はいはい、今年もやりますってば」
醍醐は上級生二人にぞんざいな返事をしながら、つつがなく部会をこなしていく。毎週のことながら言い淀む場面が全くない進行は大したものだった。醍醐の手から、おおまかな、とつける割には前年度の反省点を反映させた日程表が部員全員の手に行き渡るように配られた。常駐の見学者二人分は余剰があったものの、雨音の分は用意出来なかったようなので雪菜のプリントを見せた。
雪菜は醍醐和成という生徒を一年見てきたが、彼がここまでの几帳面な性格をしていると気づいたのは三月の終わりに役を得てからになる。長く伸びすぎた頭髪や年長者への態度から連想されるほどいい加減な人物でないことは、彼が提出する作品を見れば理解できることだった。
プリントを眺めながらではあったが、いつも通りの立て板に水だ。多少なりとも発声で練習しなければここまで淀みなく舌は回らない。
「スケジュールはこんな感じです。次の部会までに『こんなやつを作りたい』とか、『こんなテーマで撮りたい』とかを考えてきてください」
最後に部員へと文化祭最初の課題を投じ、部会の終了と批評会の始まりを告げた。
「今日の部会はこれで終了です。批評会に移ります」
号令を聞くと、部員たちは各自が持ってきた批評用紙を机に出した。批評用紙は写真を貼り付けるスペースの下にコメント欄が取られたA4サイズの一枚紙だ。添付する写真は原則、方法は問わず自身が撮影したものを、事前に印刷してくる習わしである。ちなみに、自宅やコンビニエンスストアよりも校内のパソコン室で刷ってくるのが多数派だ。部室には印刷に必要な用紙や記録デバイスが揃っているため、これを使わない手はない。中にはフィルムカメラやインスタントカメラで撮影・現像したものを持参する強者もいる。
上部に日付と名前を記入し、写真を糊付けした批評用紙を底の浅い回収箱の中に入れ始めた。
回収が終わると、副部長が部員一人ひとりへ用紙を再分配する。いつも通りの声かけをして、代々受け継がれている簡素な作りのキッチンタイマーを押した。
制限時間は五分間。残り一分のところで一度声かけをする。回ってきた写真を見て、コメント欄へ良かった点、改良出来そうな点を記入する。不真面目に見れば長いが、いい感想を出そうとすると短い時間だ。タイマーが鳴ると再び箱へ回収され、再分配が行われる。この繰り返しだった。コメントのスペースの都合で三巡ほどで終了の合図が出される。
批評会の最中、暇な見学者同士の雑談が雪菜の耳に入ってきていた。三年生の二人組が雨音に基礎的なコメント例や過去の批評会での出来事を話しているようだった。手元の写真とタイマーへの集中を欠いてしまうため聞き耳を立ててばかりもいられなかったが、時折質問を返す雨音の声が聞こえていた。
批評会が終わり、手元に戻ってきた用紙に書かれたことを確認してから、部室に置いてある個人ファイルに用紙を保管する。
一日の活動はこれにて終了だ。普段通り、文化祭用のコマ撮りアニメ以外に大きな活動はない。個人ファイルも文化祭の作品展示に使われる成果物となるため、毎週文化祭へ向けての準備を進めているとも言える体裁ではある。
「えー、これで本日の活動はお終いです。お疲れ様でした」
部長の言葉に部員たちは口々に「お疲れ様でした」と返す。活動が終わればいつも通りの放課後が再び始まる。直帰するも良し、部室に残りダラダラするも良し、宿題を片付けるのも良し。瘴気の影響からか、最近は帰り支度をする部員がほとんどだ。
雪菜の視界の端で、見学を終えた雨音に再び木下が話しかけていた。四月の仮入部期間の見学者と同じ流れだが、雨音ならば長時間拘束されることもないだろうと確信が持てる。帰り支度を進める風花に声をかけると放課後の誘いに二つ返事で答えた。続けて雪菜の背後へと声をかけた。
「見学お疲れ様でした、転校生さん。昨日ぶりですね」
「どうも、橘さん。来週からは活動に参加するから、宜しく頼むよ」
「うっそ、もう決めたの」
予想以上の早さで木下の勧誘を片付けられたのも納得がいく。驚き振り向く雪菜に、いつも通り淡々と雨音が本題を切り出した。
「そっちも話がついた様だね」
「うん。とりあえず場所変えようかと思うんだけど……公園って、大丈夫?」
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