12「空蝉 春の記憶②

 

 雪菜の目線の先には女の子が立ち止まっていた。

 道の中央を陣取り彼女の背が遮っている向こう側を向いたまま、呆然と立ち尽くしていた。

 

 雪菜は少々の違和感を覚えつつも、帰り道なのでそのまま歩いて近づいた。薄暗い道で遠目で見ても分かる白いラインの一本入ったセーラー服は、この辺りなら時森第一の制服で間違いない。仮に幽霊だとしても、気づかないふりをして真横を通り抜けてしまえばいい。

 道の右側へと寄りつつ、身じろぎすらしない不審な少女まで十メートルほどの距離になった時、雪菜はその奥にあるものに気がついた。

 

 ── 嫌な予感がする。

 

 彼女の目線の先の闇の中で、薄暗くてよくは見えないが、確かに妙な気配を感じる。

 その先に目を凝らさないようにして、そろそろ真横に来る視界の端の少女に気を向けた。

 

 見て、すぐに気がついた。

 固まっている少女の瞳に映る恐怖の色。遠くに焦点を合わせたままの目に、おぞましい影が映り込んでいることが。

 目を合わせてしまった彼女の先に、何があるのか。

 気づくと同時に、赤星雪菜は動く。

 

 咄嗟に身を捻り、右の手のひらを少女の目の前にかざして視界を奪う。雪菜は正面へと背を向けたまま少女の肩を強く引き、後ろ向きに半回転をさせた。

 目隠しが外れ、こちらを向いた少女が状況を理解する前に。

 

「走るよ!」

 

 有無を言わさずに少女の小柄な背を押し出し、一歩が飛び出したら手首を掴んで来た道を引き返す。後ろを見ないように、ただただ前を見て。

 

 走りづらい革靴だろうが、伊達に毎朝走ってない。何もしてないやつよりは脚に自信があった。横の少女が遅れていると腕伝いにわかると、強く引いて前に出し、背を支えて並走する形にする。

 

 背後にいるやつがどんな規模でどんな速度で追ってくるのか、自分たちとの距離は今どれほどだろうか。不安が常につきまとう。目視をしていない以上雪菜には全部分からないが、敵わないからといって立ち止まる訳にはいかない。

 

 目的地はもう決まっていた。

 安全地帯の三神神社はここからでは少し遠く、そんなところまで走ったら途中で追いつかれてしまうに違いない。

 目指したのは現在地から近い古びた社。神主のような人が住み込みでいる場所ではないが、少なくとも〝危険そうなやつ〟はそこには寄り付いてこなかったことを雪菜は確かに覚えていた。

 

 しばらく走り続けて少女の速度はどんどん遅くなっていたが、様子を見るにまだ追いつかれてはいない。

 神社の石段の前に着くと、息も絶え絶えの満身創痍の少女に力強く「登るよ!」と言い放つ。

「えぇ?!」と嫌そうに叫んだ少女の手を強引に引っ張り上げて、石段を駆け上る。

 

 三神神社の石段よりは少ない段数ではあったが、やはり疲れが出ていた。脚は重く、思ったよりも軽快には階段を登れない。それは疲労困憊の少女の脚には尚更の話で、腕の力も添えながら懸命に石段を蹴り進めていた。

 石段の終わり、雪菜が鳥居に先に入ると、自分の右腕が引っ張っていたはずの少女の体がぴたりと止まった。

 

 異変に雪菜が振り返ると、「ソレ」がもう少女の背ろまで来ていた。

 可視化された暗闇の中に、顔が浮かんでいた。人の顔だと思った蒼白の輪郭は平坦な面のようだ。髪と思しき長い束の隙間から覗く目の部分が黒く染まり濡れている。

 目を見てしまった気がしたものの、頭は鳥居の中だからだろうか、雪菜自身は嫌な寒気を感じ取っただけのようだった。

 今まで視てきた幽霊たち同様にヒトの形をしてはいるが、上から見下ろしているからか胴体が龍のようにやたらと伸びて視えた。雪菜がそう思った途端、ソレは真っ黒の胴から同様に真っ黒な無数の脚を伸ばし始める。

 脚のうちのひとつが雪菜目掛けて飛んできた瞬間に、見えない壁に押し止められた。

 

 少女にへばり憑いたソレは重くのしかかり、鳥居までの最後の一段を登らせない。

 早く彼女もこちら側に引き入れなければ。

 

「…… ぁ 、 ぅ……」 

 

 耳に入ってきた押し潰れたような苦しそうな声は少女のものなのか、それともソレの声だったのか。

 

 鳥居を飛び出した雪菜は少女の胴体を両腕で抱きこむと、背面で跳ねるようにして鳥居の中へと少女を引っ張る。少女の体は酷く重く、危うく共に引きずり込まれそうにもなる。

 

「がんっ……ばれ!!」

 

 火事場の馬鹿力というやつだろう、雪菜のかけ声と共に少女の足は石段を離れた。

 少女の体は雪菜に引き上げられるように鳥居の中へ飛び込み、そのまま雪菜の体を下敷きにして倒れ込む。

 足の先まで完全に境内に入ると、追うことも叶わずせき止められた無数の手のひらが中空に手形を残した。手形がどろりと溶けて消える頃には、黒色の本体も目視できる範囲からは消え失せたようだった。

 

 身の安全が分かると、鳥居を見るために少女ごと浮かせていた上半身も力が緩んでそのまま地面に背をつけた。二人とも走って登って、疲れ果ててもうしばらくは立ち上がれなさそうもない。

 

 見上げた空には月が見える。真ん中で真っ二つに割れた月が静かに下界を見ているようだった。左の半分が光るのはたしか下弦の月だったか、と考えながら雪菜は体から鳴り響く心臓の音を聞いていた。実はこの日は満月で、下弦の月は昼間にしか観測できないのだがそれに気づくのはまた後日のことである。

 

 石で舗装された地面に体を押し付けられて背中と後頭部は少し痛かったが、背後の安全が確実に護られているような、そんな安心感を抱いていた。

 先ほど自身の脳が定めた限界値以上の力を出してしまったせいもあり、雪菜はただただ抜け殻のように顔の正面にあった景色をしばらくぼんやりと眺めていた。

 

「…………助かった……の?」

 

 雪菜の上の少女が小さくつぶやいた。それが少女自身に向けて言った言葉だったのか、それとも見ず知らずの雪菜に答えを求めて言ったものかは分からなかった。それでも雪菜は答えておく。

 

「そうみたい……?」

「…………あっ! ご、ごめんなさい! すぐにどきます!」

 

 下からの声を聞いた少女は急いで地面に手をつき起き上がろうとするが、どうにも力が入りづらいらしい。少し浮き上がったかと思うとすぐにべちゃりと再び雪菜の体へと着地した。

 

「無理して起き上がらなくったっていいよ。私も疲れたし」

「大丈夫ですから……!」

 

 少女は雪菜の上から一旦左側へと体を落とすと、そこから地面に手を着けて上体を起こした。

 一連の動作を見届けると、雪菜も脚を上げ、勢いをつけて脚を下ろす反動で上体を起こした。

 

 少女は黙って雪菜をじっと見つめていた。気がついた雪菜も少女の方をじっと見つめ返す。地べたに座った状態になった二人は、無言のまま見つめ合う少し間の抜けた時間を過ごしていた。

 

 この子は今何を考えているのだろうか、その顔はどういう顔なんだろうか。

 少女の表情は今だ恐怖の中にいる顔ではなく、また完全な安堵の中にいるわけでもない。雪菜には真剣な顔をしているように見て取れた。信頼の出来る人間なのかこちらの出方を探っているのだろうか、はたまたこれからどう話を切り出すべきなのか悩んでいるのだろうか。

 

 ふと制服の胸元に視線を落とすと、第一学年を表すローマ数字の一の形を模した学年章が見えた。

 後輩が相手だ、最初は雪菜から切り出した。

 

「怪我とかはしてない? 大丈夫?」

「いえ、特には……」

「そっか、よかった。……」

 

 会話が続かない。なんとも言えない気まずさである。

 もう時間も遅い、早く帰らせてあげたい。けれども、どういうきっかけを作ればいいのかがよく分からなかった。「じゃあ帰りましょうか」とでも切り出すべきなのか、しかし外の安全が確約されていない今、帰ることを促すのは誤りか。

 雪菜が黙っていると、今度は少女の方から言葉を発してくれた。

 

「あの……さっきはありがとうございました……」

「あ、あぁうん。どういたしまして」

 

 軽く頭を下げた少女につられて雪菜の方も頭を下げていた。その間にも、そういえば年下だと思ってタメ口をきいてしまっているがこの子はそういうのは気にする子なのだろうか、などと思考が巡る。

 

「二年生の方、ですよね」

「うん。えーと、名前は赤星っていうんだ。そういうそっちは一年生だよね……?」

「はい、私は橘っていいます。その……」

 

 雪菜が名乗ったことにより、少女の方も名乗り、そして──

 

「単刀直入に言いますね、あなたも『視える』んでしょうか?」

 

 

 

「最初からすごい慕われてたよねー。後ろをついてくる感じがヒヨコみたいって思ってた。部活ない日も結構一緒に帰ってたでしょ?」

「四月はそうでしたね」

「もしかして深く聞いちゃいけない話だった……?」

 

 女の子社会の地雷でも踏んでしまったか、そう目に見えて心配する木下は「そういう話じゃないんで大丈夫です」と雪菜がフォローすると、分かりやすく安心をしている様子だった。

 

「私が同じクラスの子との親交を妨げちゃいけないですし……今でもたまに向こうから誘ってきてくれるんで、大丈夫だと思います」

「あーそっか、そうだね。クラスの子と仲良くやってるのか。巣立って先輩離れしたってことかな」

 

 変わった造語に笑ってみたものの、そんな離れた風に見られていたなんて。

 確かに四月の間の放課後は風花と過ごしていた。越してきたばかりの彼女にとってはまだ未知の町であんな目に遭ったのだ、常に複数人で行動したくもなるし、そこにちょうどよく理解が早い雪菜がいただけだ。

 

 時森の地であのように変性した幽霊を視たのは雪菜も初めてのことだった。今にして思えば、当時悪霊と認識していたものも悪魔の一種だったのかもしれないが。咄嗟の判断であそこまで動けて、今も何もなく生活ができているのは自分でも驚くほどに幸運なことだった。

 風花もしばらくして安全だと分かり、クラス内交友に打ち込める環境になったのだろう。

 

「話に付き合ってくれてありがとう。そろそろ帰るかな」

 

 木下と共に部室を去る頃には、窓から西日が入ってきていた。

 

 週が明けたら終業式、その直後に夏休みが始まろうとしていた。

 長期休みの間に四階あるいは校舎全体がどんな変貌を遂げてしまうかが不安の種であった。日に日に濃くなる瘴気に、学校が悪魔の世界に近づいているかのように思えた。

 

 もしも仮に、異変の元凶としてもはや間違いない「悪魔様」と会えたとして──雪菜は考える。

 自分はどうするべきか。ただ、ソイツに物申して出ていってもらうか行動を改めてもらおうと思っていた。雨音の言うような〝制約〟の下ならば、雪菜の願いだって聞き届けてくれる予感もする。しかし相手にとって都合の悪い願いなんて、本当に聞いてくれるのだろうか。

 四階の現状を悪魔の目的とするならば、学校を乗っ取ることが相手にとっても重要なことなのだろう。ならば尚更、撤退の要請など聞き届けまい。

 

「なんだかよく分からなくなってきちゃった……」

 

 こんな時に雨音が横にいてくれたらなぁ、だなんて。独りの帰り道にそんなことを思うのは雪菜には初めてのことだった。

 

 七月もそろそろ下旬に差し掛かる。暑さに追いつくように蝉の声が聞こえ始めて、やっと夏休みが近付いてきたと実感できるようになっていた。

 あと三日もしない内にこの音も騒音に変わるというのに、久々に耳に入ってきた分かりやすい夏の到来に心動かさずにはいられない。

 

 独りの帰り道もそろそろ終わる、その道半ばに。

 

 予期していなかったものが目に映った。顔見知りがいかにも人を待っていますといった様子で道端に佇んでいる。見慣れた影はひとつのみで、この通学路上では一人だけでいるのを見かけない人物だ。だが雪菜には、彼の用事におおよその見当がつく。

 明らかに待ち伏せている前を、我関せずと素通りすることは不可能だろう。仕方がない、受けて立とうと青年へと近づいて先手で挨拶を投げる。

 

「こんにちは。こんなところにいるなんて珍しいですね」

「……ひとこと言いに」

 

 雪菜が彼の視界に入ると、彼が一瞬だけ、驚いたように目を見開いたのが見えた。

 転校初日の雨音を思い出す反応だが、この青年については気のせいだろうと流す。

 

 彼が興味を持って動く理由を雪菜はたったひとつしか知らないし、それが正解に違いないということはすでに学習済みであった。

 彼こと、暁亮は今年三月に時森第一中学校を卒業した写真同好会のOBにあたる。彼こそが部を同好会へと降格させた例の傑物で、雪菜と同時に所属していた期間は一月ほどでしかないほぼ他人だが、学校の外ではそれ以上の関係があった。

 

「ひかりが何か言ってました?」

 

 姉の十年来の知己であり、同時に恋人。それが雪菜の予想する亮が現れた理由でもある。

 

 「暁亮」という人物に対する雪菜の認識は、当時の部内ひいては学校内での「完璧超人」という共通認識から更に一歩進んでいた。文武両道の成績などから超人と称された彼は、雪菜にとっても同じ組成でできてるとは思えない能力と極端な思考とを併せもつ宇宙人のようだった。それを一言にまとめると、「彼女大好き星人」である。

 

 端的に言うと亮は、その熱愛ゆえにひかりのためならば文字通りに何でもする人物だった。ひかりについてのことは、彼の組む優先順位の中で不動の頂点にある。頼まれごとはすべてきく、頼まれてなくとも意図を汲んで動く、予測して準備しておく。手間を惜しまず手を尽くす。およそひかりに降りかかりそうな災厄ですらも未然に防ごうとするに違いない。

 部活を通して彼と上下関係ができてからは、その過剰な奉仕精神に雪菜も巻き込まれることがあった。というより、彼から何らかのアクションを起こすにあたり、ひかり以外の理由があったことがない。

 

 それを踏まえて、頭の中で最近ひかりとの間に起きた疑わしい出来事を早急に洗い出す。

 少し前になるが、六月に帰りが遅いと指摘されたこと、そして雪菜の拳を作る癖でシワのついた制服を心配そうに眺められたことを思い出した。当時は話を逸らして回避できたかと思っていたが、そういえばシワは麻美に襲われた先日もつけてしまった。その二件から何かの異常をひかりに勘づかれ、亮に相談された可能性が高い。亮の次の言葉に身構える。

 

「いや、ひかりはまだ何も。事前に忠告でもと思ってな」

「まだ?」

 

 未然のことをひかりが醸し出た雰囲気で察したか。可能性が大いにありうると雪菜に思わせるのは、彼がそういったことでも雪菜に直接物申してきたからに他ならない。

 

「危険なことに首を突っ込むな。どうせ強要されてもいないのに無駄な義務感で動いているんだろうが……要するに、ひかりに余計な心配をかけさせるな。それだけ言いに来た」

 

 言いたいことだけ言い終えるとすぐさま、亮は静かに歩き出そうとしていた。立ち去ろうとする後ろ姿を雪菜は咄嗟に引き止める。

 

「危険なことってなんですか、具体的に言ってください」

 

 電子メールでも済むことをこの男がわざわざ出向いて言いに来たのだ。その行動自体が、雪菜には重要なことに思えた。

 本当は下調べがついていて、雪菜のしていることを全部知っているんじゃないだろうか。例えそうであったとしても、雪菜には納得がいく。

 だってこの人は、できないことの方が少ない完璧超人。雪菜はほんの少しの触れ合いの中でも彼を疑っていた。彼にも、視えている世界があるのではないかと。

 

「自分が一番よく分かっているだろ」

 

 脚を止めて後輩の質問に答える彼は、その仕草に反してどこかが確実に冷え切っていて、熱のない言葉にはいまさら意地悪をされているとさえも思わない。

 

「先輩も七不思議の『悪魔様』、知ってますよね」

「そんな噂もあったかもな」

「全部終わったら教えてくれますか?」

「……忠告したはずだが」

 

 声色が変わり、低い音が体の底に響く。向けられた瞳の奥、隠しもしない冷たさに雪菜は思わず身震いをした。見えない氷の手に心臓を掴まれ凍えて時が止まったかのように、身体が固まり息が止まる。

 その一瞥、ほんの一瞬のことが、頭の中で何十倍にも引き伸ばされる。加速する思考が、ひょっとして、この人は威圧だけで人を殺せるんじゃないだろうか、と錯覚さえ覚え始めたとき。

 視線を外されてようやく息を吐き出せた。ここまで身の危険を感じる強い制止を受けたのは初めてだ。

 正直怖い、でも。歯を食いしばり握った拳の熱が、凍えた肺に息を吹き入れた。

 

「ムダな義務感じゃない」

 

 自分たちにしか視えないことなら、自分たちがやらなきゃいけない。外の誰かが、関係のないことに突っ込んでまで手を差し伸べることはないのだから。たとえできることがほとんどなかったとしても、何もやらないよりはマシだ。

 

「『視て』見ぬフリなんて、いまさらできません」

「それが無駄だと言っている」

 

 亮は深くため息をつくと、観念したかのように体を雪菜の方へと向けた。

 

「俺はお前が何をするもお前の勝手だと思っているがな、そのせいでひかりが悲しむようなことになったら覚悟しておけよ。たとえお前が死んでいても殴りに行くからな」

「……骨は拾ってくれるってことですか?」

「だから危険を冒すなと──いい、無駄だったか。好きにしろ」

 

 亮は言葉を切り上げると、再び雪菜に背を向けて歩き始める。今度は止めようとはしなかった。

 

──死んでいても、か。

 

 比喩だといいが。言外に匂わすような人ではないと分かっている分、強い警告であることはよく伝わった。

 

 ため息をひとつこぼすと、雪菜も亮に背を向けて歩き始めた。

 状況を打開する糸口を見つけなくては。後手に回っていても何も改善はされない。では何を積極策とするか、雪菜の頭をもたげた考えはひとつだけだった。

 

 

 赤星ひかりについてのことで話したい。三神翼の電話番号から連絡が来たのは昨日のことだった。

 電話の主は翼とは違う人物だったが、直後に提示された言葉のせいで、亮はその要件を聞かざるを得なかった。

 

『土曜日に蝶を、昨日は帽子を被った君を見ていた。言いたい事は解るかな』

 

 何が目的だ、と問えば返事は簡単なものだった。

 

『この土地についての情報が欲しい。何しろ新参者でね』

 

 

 実際に会ってみれば、話が早いやつだった。お互いに対しての興味がないからこそ、お互いの出した要求をほとんどそのまま聞き入れた。利害の一致とまではいかないが、少なくとも害についての擦り合わせはできていた。

 

 向こうの出した条件のひとつは、要求のあった情報も含め、ここ数日で見知ったことを互いに他言しないということだった。都合が良かったので承諾した。

 

 ふたつ目は、自力で解決するから協力は要らないということ。借りを作りたくないから手を出すなと示してきた。こちらについても、これ以上関わりを持ちたくない亮にとっては悪い話ではなかった。

 卒業して以来、校舎すらも目に入れてない中学校の現況など亮の知ったことではないが、しかし懸念点がひとつだけあった。

 彼女と同じ姓を持つあの死に急ぎが、その件に関わっているというただ一点のみだ。

 

 

 

 

 暗い色の髪を風に揺らしながら青年は一人歩く。

 全ては彼女のため、それ以外で動くことなんて無駄に等しい。

 どうか彼女の生きる日々に平穏な毎日が続くようにと彼は願った。 

 

 

第十二話「空蝉 春の記憶」おわり

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