13「虚蝉 夏の記憶①」

 

 

 その日もうるさくセミが鳴いていた。

 雲ひとつない青空から顔を出したしゃく熱の太陽が、ジリジリと地面を照らしつけていた。公園にせっ置されている鉄の遊具も、熱を持ってしまっては熱くてさわれない。

 

 とにかくあつかった。かぶっていた黒のキャップの中までもが、あせでびちょびちょにぬれてしまっていた。

 家を出るときにわたされた、なけなしのおこづかいで買ったアイスキャンディも太陽の熱にとかされ、とう明のさとう水がぼうを伝って地面に落ちて、すいこまれて。ぼうを持っていた指がベタベタする。

 

 そんなあつい日に、あの人はなんだろう。

 こげ茶色のフードつきマントをかぶった大人がひとり、公園の中央にある背の高い時計のはしらの前にいた。明らかにあやしい人だけど、他の子たちは見向きもしない。様子を見ていた間、けっきょく何もせずにつっ立っていただけの意味不明の人。

 ミーンミンミンと耳に入る音が、いっしゅんだけ、はしらの前のひとかげをセミみたいと思わせた。

 ちゃんとヒトの形をしていて、わるい気配はなかったからか。一体何がそうさせたのか。よくは覚えてないけれど、わたしは日なたに出て、そのセミマントマンに声をかけていた。

 

「それ、あつくないの?」

 

 近づいてマントの中をのぞきこむと、長いかみの毛が見えた。明るいむらさき色。その奥に見えたのは色の白いキレイな顔だった。マントマンじゃなくて、マントウーマンだった。

 

「……貴女、どうして……」

 

 マントウーマンがしゃべる。大人の女の人っぽい声じゃなかったけど落ち着いた声だった。

 

「私が『視える』のですか?」

「うん、もちろん」

 

 女の人はわたしの高さまでかがんでくれて、キレイな青色の目と目が合った、ばっちり。相手の顔がよく見える。まつげも長くてバサバサで、やっぱり外人さんみたいなキレイな顔だった。

 頭が近づいて、遠目ではフードにかくれていた部分も見てとれた。かみの毛はお下げの二つ結びだった。毛先はまいてあって、根本のほうで青色になるグラデーションだった。ロックでファンキーな人だ。

 

 お姉さんも同じようにわたしをまじまじと見て、そうするとどういうことかナミダをひとつぶ、すーっと流した。

 わたしはびっくりして、問いかける。

 

「ごめんね、いやなことしたかな」

 

 お姉さんは、自分がないていたことにおどろいていたけども、落ち着いた様子で。

 

「いいえ、貴女は何も。私が勝手に泣いただけです。……貴女を見ていたら、とても懐かしい気持ちになってしまって」

「なつかしいとなくの?」

「どうでしょう、私だけ変なのかもしれません」

 

 お姉さんはむねの前をキュッとにぎると、すぐにその手をはなした。

 

「……苦しいの? 大丈夫?」

 

 私がそう聞くと、お姉さんは優しくほほえんだ。

 

「そうかもしれないですね。でも、もう大丈夫ですよ」

「そっか」

「お気遣いありがとうございます」

 

 お姉さんはまた笑うと、今度はわたしにしつ問してきた。

 

「貴女のお名前はなんとおっしゃるのでしょうか」

「雪菜。漢字はねー、空からふる雪に、菜の花の菜で、雪菜」

 

 わたしが名乗ると、お姉さんは少し考えて、その後に返事をした。

 

「雪菜さん……そうですか。ありがとうございます。けれど、お名前はそんな簡単には教えてはいけませんよ」

「そっちが教えてって言ったじゃん」 

 

 りふじんな人だなぁ、と思った。

 わたしがほっぺをふくらませると、お姉さんは少しこまった顔をしたけども、今度はすぐにしんけんな表じょうになった。

 

「それはそうですが……私以外にはダメですよ、悪用されてしまうかもしれませんから。例えばそうですね、呪いをかけられてしまうかもしれませんよ」

「えっ?! それはこまる」

「だから、簡単に教えてはいけませんよ。約束です」

 

 つられてわたしが「約束」とふくしょうすると、お姉さんはまた笑ってくれた。変なお姉さんだ。

 お姉さんはちらりと公園の時計を見ると、少しきびしい表じょうになった。

 

「あまり時間がありませんね、では手早くしましょうか」

「急いでる?」

「心配ご無用です。すぐに終わります」

 

 お姉さんは目の前に手を出すと、わたしの目をおおった。

 

「その眼はさぞかし生き辛いでしょう。心優しい貴女へ、ほんのささやかなお返しです」

 

 

 

 

 

 

 

 ……気がつくと公園でひとり立っていた。

 ベタベタの右手にはアイスのぼうがにぎってあった。

 

 太陽に照らされた体はほてっていて、キャップの中までびちょびちょで。ミンミンと、セミの声がうるさかった。 

 

 

 

 赤星雪菜は今日も携帯のアラームの音で目を覚ます。夢を見ていたはずだが、内容はいまいち思い出せなかった。

 

 週が明けて一学期最後の日がやってきた。終業式が終われば学生お待ちかねの夏休みがやってくる。そしてこのままではきっと、夏の終わりには瘴気に包まれた悪魔の世界が降りてくる。

 その場しのぎの対処療法では、いくら時間をかけようが完全に解決しないのは分かりきっていることだった。不安の芽は根から絶たなければならない。

 見つけられなかった根を探すための、あるいは根こそぎすべてを除くための方法を雪菜は考えていた。諸悪の根源に会うための方法は、もう既に知っている。

 

 寝起きの雪菜が支度を進める静かな早朝に、珍しく姉のひかりが起床してきていた。高校の通常授業が終わり、ここ数日で休日モードとなったひかりは雪菜が登校する時間になってもベッドの上にいるのが最近の常だった。そのため先日亮から受けた忠告も相まって、ひかりに不自然な素振りを見せないように雪菜は気をつかった。

 雪菜が午前で帰ってくる予定だからか、ひかりに昼食のリクエストを聞かれてとっさに「冷やし中華」とは言ったものの、姉はまたすぐに二度寝を始めたのでやりとり自体を覚えているかすら不明だ。

 

 その後はいつも通りの所作をこなしてから、雪菜はいつもと似たような時間に学校へと赴いた。夏休み直前の通常登校最終日にも関わらず、教室にはいつもの早朝面子がそろっていた。「ユキー」と名を呼ぶ声が廊下から聞こえたのは、自席へ荷物を置き一息ついた直後であった。

 

 声の主はニ年一組の西川春香。壁新聞同好会に所属する、雪菜の幼馴染。中学校で同じクラスになったことはないが、小学校での認識ではもう少し朝にルーズだったように認識していた。ひとまず手をこまねく春香の方へと近づく。

 

「こんな時間にいるなんて珍しい」

「夏休み部室使えないからさ、今日中に片付けないとって思って」

「そっか。それで、要件は?」

「ちょーっと、ここだと話しづらいから、ついてきて欲しくてさ」

 

 腕を引かれ、春香に導かれるままに教室を後にする。そのまま近場の女子トイレにでも行くのかと思いきや、廊下を進み階段の目の前に出た。

 

「……どこまで?」

「え、部室まで。今なら誰もいないでしょ」

 

 懐からプラスチックタグのついた鍵を出す春香は、当然のことをわざわざ聞かれたといった声色だった。四階の怪現象など意にも介していない様子だ。

 たしかに、雪菜も四階へと動くなら明るいうちにしたい。夜から遠い朝昼の時間帯なら、微々たる差でしかないが放課後よりも比較的瘴気が薄く危険度は低いはずだ。瘴気の中に倒れてしまっても、教室に荷物があって本人がいないのなら有事であることが周りにも伝わりやすい。異界に取り込まれさえしなければ、大事に至る前に回収もしてもらえるだろう。雪菜もそう考える。しかし──

 

「それ今じゃないとだめ? 時間かかるなら放課後にして欲しいんだけど」

 

 一点気になったのは、春香が腕を掴む力がやたらと強いことだった。逃すまいという強い意思を感じさせるほどの力と、そのような切羽詰まった様子のない春香の表情とに異様なギャップが生まれている。

 雪菜は直感的に、ひとりでついて行くべきではないと判断して足を止めた。

 

「誰にも聞かれたくないだけならメールでいいよね?」

「はぁ? 面と向かっているのにわざわざメール使うの? 現代っ子って感じー」

「立ち話よりよっぽど機密性高いと思うけど」

「今話したいんだよ」

「なら今打てよ、ハルも携帯持ってきてるんだろ」

「急に何? あたしと話すのそんなに嫌?」

 

 苛立ちを滲ませる語気に反して、春香の表情は声をかけられた瞬間の無感情な顔から顔色ひとつ変わっていない。普段の春香がつくる不機嫌な表情を知る雪菜にとっては、言葉の応酬を重ねるたびに不信感が強まっていく。

 拭いきれないほどの違和感を補強したのは、階段前に来る間にも、誰ひとりとして他の生徒が視界に入らなかった異様さだった。耳に入る自分たち以外の足音、話し声、息づかいなどといった生活音が欠片もない。日常から切り離されたような、早朝の静けさでは片付けられない異常が起きている。

 

 各学年の教室がある二階以上へと上がる階段を使うのは、一年生から三年生までの二百人余りいる全校生徒すべてのはずだ。

 いくら始業ベルまであと三十分はあるとはいえ、階段前で口論をしている生徒がいようが、その誰一人とも階下から上ってこないだなんてことは、まずあり得ない。

 

「……悪いけど、今のハルにはついていけない」

「『ごちゃごちゃ煩いな。友達なら黙ってついて来いよ』」

 

 変わらない表情の〝春香〟に掴まれた腕に加わる力が増していく。見慣れた春香の瞳の奥で、底知れぬ闇が渦巻いているのが見えた。紛うことない、もう何年も聞き慣れ親しんだ春香の声でその言葉は紡がれた。

 

「『へし折ることもできるぞ』」

 

 不思議な感覚だった。雪菜の頭にはそれが春香自身が出しているものではないと、はっきりと認識できていた。

 

 人質だ。

 雪菜の思考が即座に結論を弾き出したことも、焦りを感じる前に回る頭にも、どこか普段の自分と切り離れた感覚があった。

 次に自分が何をすべきか。喉まで出かかったものを飲み込んだ。相手は悪魔だ、使う言葉に気を付けろ。

 明らかに、雪菜ひとりを相手に仕掛けてきている。考えろ、考えろと遠くから囃し立てる声が頭の中で響き続ける。

 

 目の前の〝春香〟は、六月に踏切で見た操り人形のような生徒とは違い、しっかりと二本足で立って歩いているどころか、流暢に語りかけてきた。操縦の精度が高いのは学校内だからか。

 誰の存在も感じられない廊下は、今まで四階で経験した超常現象と肌感覚が似ていた。早朝だからと油断して階段前に誘い込まれてはいけなかった。四階の空気が直接降り注ぐのはこの場所だ。

 

 〝合言葉〟で呼び出してない悪魔は、果たして願い事を叶えてくれるのだろうか。あるいはその場合には問答も許されるか。

 雪菜が沈黙していると、〝春香〟は続けた。

 

「『驚いて声も出ないか? つまらないな』」

「……要件はなんだ」

「『お前の望み通り、手早く終わらせてやるよ』」

 

 ようやく絞り出した言葉に対する返答は早く。同時に腕を強く引かれ、耳元に春香の口を寄せられた。

 

「『今日の日没後、四階まで来い。無論一人だけで、だ。他言するなよ。コイツはお前と引き換えで手放してやる。約束は守る、お前も守ったらな』」

 

 

 

 気がつくと、雪菜は自分の座席に座っていた。耳に残る春香の声を掻き消すには足りない控えめな早朝の物音が戻ってきている。顔を上げて教室の掛け時計を見れば、指し示された時間は雪菜の到着から一分たりとも進んでいなかった。

 雪菜は静かに席を立つと、ゆっくりとした歩調で一組の教室を訪ねた。教室には先ほど言葉を交わしていたはずの西川春香本人が登校してきていた。

 廊下から呼びつけて、歩み寄ってくる春香のその足元に、雪菜は蠢く影を捉えると静かに口を開いた。

 

「約束は守る。だから、待ってて」

 

 きょとんした様子の春香を置いて、言うことだけ言って二組の教室へと踵を返しながら、雪菜はぼんやりした頭の中で、誰かの言葉をぼんやりと思い出していた。

 

『君がどうしても辛い時は誰かに頼ってもいいからね。』

 

 誰かに頼るったって、今回はどうしようもない。誰にも言えないのだから。

 瞳を閉じて、制服の上から指輪を包み込むように拳を作る。

 

──私は、私ができることをやるだけだ。

 

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