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4「消えたあの子とワームホール 

 水無月雨音は一階にいた。

 四階から階段を下り、全ての教室とトイレとを一通り見てから、一階まで来た。図書室や教室内に残っている生徒はちらちらと見受けられたものの、この時間に歩き回っている生徒は少ない。外からは運動部の掛け声が聞こえてはきていたが、校内は静かだった。

 

「水無月さん?」

 

 ふと、声をかけられる。声の方向に振り返ると、男子生徒が一人。雨音はこの生徒を知っていた。転校したきた日に少しだけ話をした、三年生の生徒会長だ。あの日以来の接点は全くなかったが、先日の生徒集会で壇上に上がっているのを見たのでかろうじて記憶に残っている。

 

「どうも」

「この学校には慣れたかい?」

「ええ、まぁ。それで、何か御用でしょうか?」

 

 用を任されても迷惑なのだが、振り返ってしまった以上は多少応対をしなければならない。雨音は短い応答と定型文を返した。

 

「用と言うほどではないのだけど、人を見なかったかい?」

「誰をでしょうか」

「君と同じクラスだと思うんだけど、北原さん、北原千夏さんだよ。さっきまで生徒会室で作業を手伝ってもらっていてね、それが終わってもう帰るところなんだけれども」

「……それで?」

 

 威圧的な態度に渡辺は少し面を食らった。雨音が転校初日と比べて酷く淡白な返事をしたことは確かだ。苛立ちすら感じさせる物言いをされたにも関わらず、渡辺はそのまま会話を続けた。

 

「えっと、それでなんだけどね。彼女、荷物を取りに行ったきり行方がわからないんだ。下駄箱に靴はまだあったし……君は今、上から下りてきたようだったから。もしかして北原さんを見たんじゃないかなと思って」

「見ていないですね」

 

 発言の終わりと見るや否や、コンマの隙も与えずに回答を述べる。実際にそれ以上のことは言えない雨音が無駄話に付き合う義理はない。

 

「そうか……ところで君はこんな時間まで何をしていたのかな?」

「急いでいるので用件だけを言ってください」

 

 世間話をしているほど暇じゃない、とまでは言わないまでも急いでいるという部分を強調させる。

 

「ごめんごめん、人と話すのが好きでね。つい話を広げようとしてしまったよ」

 

 しかし渡辺の仕草に言葉ほどの悪びれた様子は見受けられない。

 

「北原さんが生徒会室に鍵を忘れていったようでね。何の鍵かは分からないけど、ほら、下駄箱に入れるだけってのも無用心だろ。本人がいるなら直接渡そうと思って。それで」

「北原さんを見かけたら、貴方が探していたと伝えればいいんですか?」

「うん、まぁ……そうなんだけど」

 

 会話を終わらせたくないのか、歯切れの悪い物言いだ。雨音は深いため息をついて「けど?」と語尾を返す。表情には出ていないものの、応対に飽きてきた雨音は渡辺の顔を見るのをやめていた。

 

「荷物がまだあるかを確認したくてさ、荷物すらない、なんてことだったら大事だし。出来れば二組の教室まで一緒に来てもらいたいんだよ。教室内に誰もいないところに勝手に入るのは気が引けてしまって」

「はぁ。勝手に入ればいいじゃないですか」

「同じ学年ならまだしも、下級生の女子の荷物を物色しに行ったなんてなんだかやましく見えるだろう。時間は取らせないから、二組まで少しだけ付き合ってくれないかな」

「…………」

 

 雨音は一度何かを言いかけたが、何を考えたのか、その場でくるりと背を向けた。

 今までと同じ様に短く要点だけを返す。

 

「付けるならご勝手に」

 

 雨音は二階へ続く階段へと早足で歩き出す。けして廊下を走ってはいないが競歩とも思えるスピードで渡辺を突き放していく。無論、出遅れた彼は走って追いかけるしかなく。「ありがとう!」という声が背後から耳に入ってきた。

 

「……自分勝手な奴」

 

 静かに呟いた言葉は、背後を走る上級生には拾えなかったことだろう。

 

 

 千夏が泣き止んだ頃になって、雪菜は自分の状況を説明し始めていた。相槌を打つ千夏に、雪菜は続けて語りかける。

 

「──だからね、階の移動は教室に入ることで出来ると思うんだ。まだ二回しかやっていないけど……」

「なら、それで一階に出られれば」

 

 顔を上げた千夏に、雪菜が肯定を示すようにゆっくりと頷いた。

 二人は二階の廊下から、先程雪菜が出てきた二年一組へと入る。脚を揃えて数秒の待機、無意識に息を止めていた。息継ぎをするように声を出す。

 

「よし、じゃあ出るよ」

 

 再び廊下へと出る。出てきてすぐにプレートを見ると、変わらず「二年一組」と書いてあるではないか。

 

「同じ……だね」

「おかしいなぁ、何か違うのかも」

 

 あの時は……、と雪菜は手をわきわきと動かしながら少しの思案を終えた。

 自分が階層を移動するのは戸を開けながらだった。教室へと入った時には、背後を警戒して入ってきた扉を閉めていたことを思い出したのだ。

 

「扉は一度閉めないと意味ないんだと思う。一度やってみよう」

 

 もう一度一組へと入り直した雪菜たちは今度は戸をしっかりと引き終える。今度は間髪を入れずに、取っ手に手を添えたまま戸を開けた。廊下に出て、頭上のプレートを確認する。

 プレートには「一年二組」と書かれていた。

 

「移動できた!」

 

 喜ぶ二人であったが、ここはまだ三階。一階へと下りるために、何度も同じ操作を繰り返してみるが結果は散々であった。

 

 三階から二階へ、一年二組から二年二組へ、二組からは三階美術室へ、美術室からは二階視聴覚室へ、視聴覚室からは三年一組へ……

 

 閉じた校舎内では、戸を開閉するという行為では二階と三階へしか行くことが出来なかった。移動に際して、法則性らしいものも見出せない。

 この時間の四階に出ないのはありがたいことであるが、一階にたどり着けないのでは意味がない。窓からの脱出も雪菜は試してみるつもりだったが、千夏は首を縦には振らなかった。

 試しにどの程度の高さなのか見てやろうと、窓を開こうとしたがまるではめ殺しにでもなったかのように窓枠は一ミリとも動かない。雪菜はびくともしない窓枠から手を離すと、固まった手のひらを解すように手を払った。

 

「少し疲れちゃったね、休憩しようか」

 

 誰の席かは気にせずに、二人は教室内の適当な椅子に腰をかけた。

 ふと、教室の時計に目をやると針が信じがたい時間を指していた。二時二十七分、所謂丑三つ時というやつだ。雪菜は目を丸くしたものの、ピタリと止まった秒針も目に入ってきた。電池切れ、だろうか。

 ポケットにしまっていた腕時計を取り出して見れば、五時三十六分を指し示している。妥当な時間だ。雪菜は軽く息を吐いた。千夏を不用意に怖がらせることもないので壁掛け時計は見なかったことにしておく。

 

「それにしても、生徒会って大変そうだね。こんな時期も仕事してるんだ」

「んー、今は閑散期かな。行事前の方がもっと遅くまでいるし……話が合う人も多いし、結構楽しいよ。あっ」

 

 何かを思い出したように、ハッとした表情を雪菜に向ける。気を紛らわすための雑談を振ったが、想定より千夏の方が乗ってきていた。

 

「そうだ、雪ちゃん。面白い話をしてあげる」

「え? なになに?」

「なななんと! 生徒会にはね……、裏日誌なるモノが存在しているのです!」

 

 千夏もすっかり本調子を取り戻したようだ。水を差すことなく、雪菜が合いの手を入れる。

 

「裏日誌?」

「そう。名前はご立派なんだけどね、簡単に言うと、普通の──表向きの日誌に書けないようなバカなことや、日々の愚痴とかを書いたりするノートなの」

「へぇー、生徒会にはそんなものがあるんだ」

「でねでね、これ、結構歴史あるんだよ。十年くらい前のやつも生徒会室にあるの」

「十年も続いているの?! それってもう軽い伝統なんじゃ……」

 

 雪菜の食いつきに、千夏は得意げな表情を見せた。

 

「うふふ、すごいでしょ。それでね、もっと雪ちゃんが興味をそそられる様なこと、教えてあげる」

「興味をそそられる様なこと?」

「そう、『悪魔様』のこと」

 

 「悪魔様」とは、この学校の七不思議の四番目。〝鏡の中の悪魔〟の通称である。

 

 二人が一年生の時のことだった。七不思議を制覇──できない仕組みにはなっているのだが──するという試みがあったのだ。雪菜は有志で結成された一日限りの検証隊に友人と共に参加していた。

 教員に怒られないように、夕方の下校時刻前に行われた根性のない遊びだった。けして物好きたちの集まりではなく、ミステリーツアーと銘打った壁新聞同好会主催の校内見学の延長だ。もっとも、参加したものはもれなくオカルト好きという目で見られることとなってしまったのだが。

 雪菜は主催側の春香の付き添いという形で参加をしていた。しかし目的はそれだけではない、春先のまだ日が短い中で夕方の闇が校舎にどのような変化をもたらすのか。一度見ておきたかったのだ。人に紛れていれば幾分か安全であるだろう。町の中では稀に視るが、この校舎ではまだ一度もそれらしいものを視ていなかった。

 あの集まりの中に雪菜と同じ体質を持っていた人がいたのだろうか。ならば共有出来ていたはずなのだ。この学校には何もいなかったことが。

 

 千夏は雪菜にあの夜に見つけられなかった七不思議の話をしだしたのだ。

 

「実はね、最近裏日誌で『悪魔様』のことが何回か書いてあったの。なんでも恋愛の願いが叶った生徒がいるとか……『合言葉』を言えば呼び出せるとか……」

「『鏡の中の悪魔は願い事を叶えてくれる』……」

「そう! それだよ。雪ちゃん、一年の時は全く何もなかったんでしょ」

 

 一年越しに悪魔は視ました、とも言えずに雪菜は話の続きに耳を傾けた。

 

「それでね、もしかしたら七不思議のこと、他にも書いてあるんじゃないかって興味出てきてさ。裏日誌のバックナンバーを漁ってみたのね。そしたら……」

「そうしたら……?」

「なんとね、七年くらい前の日誌に書いてあったの。『鏡の中の悪魔』のこと」

 

 

 二階、二年二組教室。

 

 雨音は閉まっていた戸を開け放し、教室に入るとそのままツカツカと反対側の出入り口へと歩き始めた。「ま、待って! 確認の間はいて欲しい」と見かねた渡辺が声を上げて引き留めると、千夏の座席に学生鞄の類がないことを先んじて申告した。

 入ってきた戸を閉める渡辺の姿を目視すると、「余程やましいようですね」と口に出していた。相手が反論するよりも前に、戸を閉じた音と重ねて数メートル離れた雨音が大きく身を震わせた。

 かと思った瞬間、唐突に雨音が渡辺の方へと飛びかかってきたと錯覚するような速度で目の前までやってきたのだ。渡辺の身体を払い除けるように教室の内側へと押し出すと、凄まじい勢いで戸を弾いた。

 

 パァン! 戸が枠に当たって数センチ弾き返ってくる。今度は渡辺が、音に身を震わせた。

 

「何、なんだい?!」

 

 廊下を見回す雨音が返事もせずに思案するなか、異変に気付いた生徒会長が声を上げる。

 

「うわぁ! ここここれはどういうことだ?! 目の錯覚……?! 外が暗くなっている!」

「五月蝿い。黙って」

「君はよく落ち着いていられるね?! さっきまであんなに明るかったんだよ?!」

「だから?」

「だから! えっと……っそう! 怪奇現象だよ! 僕ら、怪奇現象に巻き込まれているんだ!」

「正解。補足しますが、今此処は三階です」

 

 雨音の平坦な声が無慈悲に告げる。

 

「えっ三……? えっ? 本当にそうなの……?」

 

 取り乱したかと思えば、急にしおらしくなる生徒会長に一瞥もくれず、雨音は瞳をゆっくりと閉ざした。見開かれた目は虚で、視線の先ではないドコカを眺めているかのようだった。

 

「見つけた。二階」

「まっ、待ってくれよ!」

 

 走り出した雨音の背を追って渡辺も走って教室を後にした。差は開く一方であった、渡辺は鈍足という程の速度ではないものの、相手が速すぎるのだ。階段を下った先で、立ち止まっていた相手にようやく追いついたかと思えば、今度は踵を返して階段を登っていく。

 咄嗟の動作に脚がついて行けず、上に去っていく背中を茫然と眺めていた。渡辺が佇んだまま息を整えていると、真横から声がした。

 

「成程」

 

 

 

『ん? また余計なやつが入ってきたようだな』

 

 暗い場所、ナニカが喋る。

 

『集まったら意味がない。早めるか』

 

 ナニカが身動ぎすると、鎖の擦れ合う音がジャラジャラと響いた。

 

 

「なっ……! え?!」

 

 渡辺が声を漏らす。真横に再び現れたかと思えば、今度は廊下に向けて直進して、戸の閉まる音が後から聞こえてきた。手近の教室へ駆け込んだようだった。

 

「あっ! ままま待ってくれよ!」

 

 入ったと思しき教室を開けた時には、雨音の姿はもうそこにはなかった。

 

「一人にしないでくれよぉぉ!」

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